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【私の転機】ジャパンフェア・バイスプレジデント、NVC元会長 アレン・ナカモトさん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

6月26日(土)、今年はバーチャルで開催されるジャパンフェア。日米、そして日系人と新一世の架け橋として、ジャパンフェアでバイスプレジデントを務めるナカモトさんに、転機を伺いました。(2021年6月)

ジャパンフェア・バイスプレジデント、NVC元会長 アレン・ナカモトさん
アレン・ナカモト(あれん・なかもと)

オクラホマ州出身。1967年、海軍に入隊し、ベトナム戦争に従軍。1971年に除隊。1978年University of WashingtonでBA inBusinessを取得。1986年、Xeroxの駐在員として横浜に駐在。2013〜15年までNisei Veterans Committeeの会長を務める。16年よりジャパンフェアを主催する非営利団体あすなろの役員(www.japanfairus.org)。

私はオクラホマで生まれ、8歳で母を亡くしました。いつまでも母代わりの姉を頼るわけにいかないと15歳で独立。働きながら高校に通い、卒業式の翌朝、海軍の訓練所に向かいました。当時はベトナム戦争下で、徴兵制度があったのですが、召集より先に自ら入隊し、航空母艦に乗ってベトナム戦争に従軍。さまざまなことがありましたが、10代の私には食事も服も支給されるありがたい環境でありました。71年に除隊し、シアトルの港に降りました。

いずれオクラホマに帰るつもりが、シアトルは豊かな土地で暮らしやすく、妻との出会いもあって、以来、シアトルに暮らしています。その後、働きながらGIビル(退役軍人向けの教育手当)でワシントン大学の夜間部を出て、ゼロックスに入社しました。
 
86年、子ども3人を連れ、横浜に駐在することになりました。それまで日本語を学ぶ機会がなかったので、駐在中、初めて本格的に日本語の勉強に取り組みました。日本語と同時に仏教や日本の歴史を学び、日本国内を旅行し、そして中本家の家系図を作り、自分のルーツへの理解を深めた9年間でした。

– 長男がくれた、地域コミュニティーの輪
子どもたちは成長し、長男は私と同じく海軍に入隊。イラクや東ティモールに出征しました。しかし、除隊した翌年の2007年、4歳の子どもを残し、28歳で亡くなってしまったのです。私は生きる意味を見失い、何も手に付かなくなり、定年退職を前に会社も辞めてしまいました。

09年、長男の名前を、軍のメモリアルウォールに刻むことにしました。そこで初めて、日系二世の退役軍人や家族のための団体Nisei Veteran’s Committee(NVC)を知ったんです。NVCに初めて出向いた時、ベトナム戦争に従軍していた方が「ウエルカムホーム」と言ってくれて…。その一言で、それまで抑えていたさまざまな記憶が一気によみがえり、温かく迎えてもらったことに感動し、私も参加することにしました。

NVCは、差別や貧困で苦しんだシアトルの日系社会を助け、日系人の地位向上を図ってきた団体です。私は、親の役目とは、子どもの強さや才能を育て、その力を使って子どもが夢を実現できるようサポートすることだと思っています。残された孫を息子の代わりに支えるためにも、NVCを通じ、孫の暮らす地域社会に貢献しようと思うようになりました。長男が私に転機をくれたんです。13年には同会会長を務めました。

– 人々の架け橋となるジャパンフェアへ
国際的なイベントは、シアトルのためにも、個人が他者を理解して平和に暮らすためにも重要なものです。NVCの一員として、シアトルの日系人として、これまでさまざまなイベントに関わってきました。ベルビューの秋祭りにも長く関わり、秋祭りの終了を機にジャパンフェアを立ち上げることになった際は、いつの間にか委員会の席に座っていました(笑)。

今年のジャパンフェアはバーチャルで開催します。メインステージに加え、サブ会場を複数設置し、同時進行で行うんです。初めての試みで、不安もありますが、たくさんの人に来てほしいですね。ジャパンフェアが日米、そして日系人と新一世の架け橋になることを願っています。

ジャパンフェア・バイスプレジデント、NVC元会長 アレン・ナカモトさん
▲ ベルビューで開催されたジャパンフェアの会場にて、奥様(中央)と、ボード・オブ・ディレクターの清水さん(右)と共に。
 
*情報は2021年6月現在のものです

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