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【私の転機】株式会社冨沢酒造店 プロジェクトマネージャー 冨沢真理さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

福島県双葉町、福島第一原発の事故で被災した創業約300年の冨沢酒造が、酒造りの再開を目指してシアトルで準備をしています。冨沢家の真理さんにシアトルへ来るまでの転機を伺いました。(2014年7月)

株式会社冨沢酒造店 プロジェクトマネージャー 冨沢真理さん
冨沢真理(とみさわ・まり)
84年福島県生まれ。06年東京農業大学醸造科卒業。同年、営業や会計等を担当していた祖母が倒れたのを機に冨沢酒造へ。兄の守氏と、若者に受け入れられる日本酒の開発等に取り組む。11年、東日本大震災の福島第一原発の事故で被災。蔵は帰還困難区域に指定されるも、蔵から酵母を救い出す。現在はシアトルで酒造りの再開を目指している。

冨沢酒造は、江戸時代に藩の蔵元として酒造りを始めました。20代目の父は、お酒のことしか興味がない人です。私は営業やお金回りを担っていた祖母が転倒して働けなくなったのを機に、大学卒業前後から手伝い始めました。
 
地震後は、何がなんだか分からず、着の身着のまま避難しました。父は手に大けがを負った上、「子ども(酒)を蔵に置いて見殺しにした俺には酒を造る資格はない」と鬱になり、母も自分の母を亡くしてナーバスになってしまったんです。でも、兄は酒造りを続けると言うので、兄妹だけでも進むことにしました。
 
兄と決死の覚悟で双葉へ入り救い出した酵母は、検査をパスしたものの、双葉で酒は造れません。酒造りのできる場所を求め、日本中探したんです。いい話もありましたが、酒税法でダメで。国の対応もなかなか決まらないし、廃業をすすめる方も多く、だんだん気が滅入り、再開はダメかもと思い始めました。

– 気分転換のシアトルが 運命の出会いに 
そんな頃、茨城県の物産展関係の方々が、サンフランシスコ、シアトル、シカゴに行く話があり、知人が参加するので、自費で付いて行ったんです。12年10月、復興は一旦忘れ、気分転換旅行にするつもりが、転機となりました。
 
シアトルのパイオニアスクエアで枯れ葉が舞うの見て仙台を思い出し、サケの上る川を見て、地元を思い出したんです。毎年、地元で銀杏の葉が舞い、双葉の隣の浪江町にサケが上ると酒造りが始まります。シアトルなら酒造りができる気がしてきました。
 
旅行中、私のことを宇和島屋CEOのトミオ・モリグチさんに教えてくれた物産展の関係者がいたそうです。帰国後、トミオさんから突然連絡があり、仙台で会いました。「日系人はゼロからスタートした。いろんな苦労をしたけど、僕たちは一生懸命生きてる。国に翻弄されたのはあなたたちも一緒でしょ?あとは飛び出す勇気だよ」って言われて。よし、シアトルでやろうと思いましたね。

はじめ、両親は「アメリカで酒造りなんて無理」と乗り気でありませんでした。でも、私がシアトルで地元と似ていると思った所に両親を連れて行くと、サケをずっと見ているんです。そして父が「ここで酒造りしたい」と言いました。その後、急遽予定を変更し、参考のため近くのワイナリーを巡ることに。ワイン職人から話を聞くうち、父から「多くの日本人は、きつい、厳しいと、職人の仕事に目を背けているが、ここには職人がいる。シアトルで酒を造りたい。教えたい。俺は酒しか造れないから、真理、どうにかしてくれ」と言われました。震災後、父がこんな前向きなことを言うのは初めてです。こうして、震災から2年経った昨年の春、動き始めました。

– 3年後の冨沢酒造と 300年後の冨沢酒造 
今夏は、酒造りをする場所の確保と、米の手配をします。 来年の秋に仕込み始め、クリスマス頃に出来上がる予定です。菌の環境は3年で安定するので、3年後にはベストなお酒ができるはずです。もちろん1年目、2年目もおいしいお酒を届けますよ。
 
日本で300年できたから、あと300年できると思うんです。アメリカでのれん分けした分家が、いつか帰れるようになった双葉で酒造りをしてくれたらうれしいですね。

株式会社冨沢酒造店 プロジェクトマネージャー 冨沢真理さん
▲ 12年10月、軽い気持ちで訪れた初めてのシアトル。この旅が冨沢酒造の全てを変えた
 
*情報は2014年7月現在のものです