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【私の転機】ワイン醸造家 芝 明子さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

オレゴンでワイン造りをする芝明子さん。東京のビアバーでアルバイトをしていた芝さんが、ドイツの大学を経て、オレゴンで自分の名前を冠したワインを造るまでの転機を伺いました。(2019年7月)

ワイン醸造家 芝 明子さん
芝 明子(しば・あきこ)

東京都出身。大学卒業後、フード関係のムックの編集アシスタント、他誌の編集者を経て、ドイツに留学。2009年にドイツのHochschule Geisenheim University, Viticulture and Oenologyを卒業し、渡米。オレゴン州内のワイナリーで経験を積んだ後、13年、Shiba Wichern Cellarsを立ち上げ、自身のワイン造りを始める。Web: shibawicherncellars.com

私の転機は学生時代の六本木のビアバーでのアルバイトです。ここで今のパートナー、クリスと出会い、大学卒業後はこの店の常連客が立ち上げたフード関係の雑誌の編集部で働きました。

私は食べることも飲むことも大好きで、将来はお酒専門のライターになりたいと思うほどでしたが、この雑誌が就職から2年ほどで休刊。間もなくクリスがドイツに住むことになり、私も付いて行くことにしました。ドイツでビールについて学べば、ビール専門ライターになれるかもという淡い期待もあったのです。

– ビールからワイン、ドイツからアメリカへ
ところが、ドイツの語学学校の友人の婚約者がワイナリー・オーナーで、彼が薦めてくれたワインが素晴らしくおいしかったことから、すっかりドイツワインに目覚めてしまい、ワインを学ぶ大学に進学することにしました。

当初はジャーナリストとして「ワインについて知りたい」と考えていたのですが、入ったのはワイン造りのエリートを育成する学科。方向性で悩むこともありましたが、老舗ワイナリーの跡継ぎや、すでにワイナリーで経験を積んできた同級生たちから刺激を受け、徐々にワイン造りが面白くなっていきました。

クリスは私の卒業より先に母国アメリカに帰国。卒業後、彼のいるバージニア州に引っ越しました。バージニアにもワイナリーはあるものの、気候、目指すレベル、ワインのスタイル、何もかもが合わなくて…。すでにドイツでハイレベルなワインを造る同級生と自分を比べて焦りました。そこで、大学の先生が「オレゴンのピノ・ノワールは良い」と話していたのを思い出し、オレゴンに引っ越すことにしたんです。知り合いもいないのに無謀ですよね。

ただ、オレゴンのワイン業界は、繁忙期だけ人を雇うことが多く、大手ワイナリーの正社員になってもレイオフされるなど、なかなか安定して働けませんでした。すると、クリスに「思うように働けないなら自分のワインを造ったら?」と言われたんです。そこで自分でやろうと決断。2013年のことでした。

ワインの造り方は知っていても、自分のワインを造るのはこれが初めて。しかもこの年は、収穫期直前に雨が降り、ブドウの腐敗がどんどん進んでしまう、ワイン醸造家にとって大変な年だったんです。全てを自分1人で決断しなければならず、一瞬でも変な匂いがしたら、それだけで不安になるような、一喜一憂の1年目でした。

– 日、独、米、国を越えて愛されるワインに
大変だったけど、今、最初の年のワインを飲むと、結構イケてると思うんです。年々、経験を積み、今ではポートランドの良いレストランがワインリストに入れてくれるようになりました。日本に輸出も始めたのですが、なんと、この貿易会社が、バイト先だったビアバーを経営していた会社なんです。他にも多くの日本や地元の飲食店関係者に支えてもらっています。

今、ドイツの同級生たちが、世界的に評価されるようなワインを造っているんです。オレゴンのピノ・ノワールには世界で戦えるだけの力があります。同級生たちに負けないよう、日米にとどまらず、いろんな国の人からおいしいと言ってもらえるワインを造っていきたいです。

ワイン醸造家 芝 明子さん
▲ 昨年、最後の収穫が終了した時にブドウ畑で記念撮影。「友人、家族にはいつも支えてもらっています」と芝さん。

 

 
*情報は2019年7月現在のものです

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