シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 2017年6月、在シアトル日本国総領事館に新しく、山田洋一郎総領事が着任しました。さまざまな国で活躍してきた山田総領事に、お話をうかがいました。(2017年8月)
東京大学を卒業後、1984年に外務省に入省。在ポーランド大使館参事官(99年)、朝鮮半島エネルギー開発機構日本政府リエゾン(2001年)、外務省専門機関課長(04年)、内閣府遺棄化学兵器室参事官(07年)、内閣官房国際平和協力室参事官(08年)、在ケニア日本大使館公使(10年)、在ベルギー日本大使館公使(13年)等を歴任。17年6月より現職。
私の父は外国航路船の船長で、話し好きな人でした。世界各国を回ってきた父の土産話には創造力を掻き立てられ、自分もいつか外国に行きたいと思うようになり、大学では国際関係論を学ぶ学部へ進学。大学3年の時、友人が外交官試験を受けたことを機に、外交官を面白そうな仕事だと感じ、勉強をして外務省に入りました。
入省翌年のイギリスが初めて訪れた外国です。実際の英国人はイメージしていたものとは全く違い、驚きました。これが転機となり、今でも新しい任地に着いた時は、先入観に捉われず、現地の人と話し、街を歩き、食事をして、自分で感じることを大事にしています。
– 世界各国で感じた 人と人とのつながり
入省から33年経ち、そのうち21年を外国で暮らしています。モスクワに1987~91年までいたのですが、最初、ソ連人は「外国人と話せば当局からにらまれるのでは?」とおそるおそる話をしている感じでした。しかしペレストロイカが進むと、彼らは今まで言えなかったこと、言わずにいたことを話すようになり、人間を通じてソ連という国を見ていると徐々に実感できるようになったのが印象に残っています。
ケニアで感銘を受けたのは、多くの日本のNPOや企業が長年にわたり、住民が貧しい生活から自立できるように支援してることです。あまりお金にならないし、危険が伴うこともありますが、名誉も求めず、静かに支援を行なう日本人たちがいました。こういう人々の活動のおかげで現地では日本に対する信頼と尊敬がありましたし、こういったことから国際社会において日本人は信用できるという評判につながっていくのだと実感しました。
また、ベルギーのイベントも印象深いものです。ブリュッセルでは昨年3月にテロが起きましたが、その後すぐに花と植物の祭典が予定されていました。16年は日本とベルギーの国交樹立150周年で、日本をテーマにさまざまなイベントが予定されていたのですが、一部はテロの影響でキャンセルに。そんな中、いけばな草月流家元の勅使河原茜さんが、「こんな時だからこそベルギーの人と共にあるという姿勢を示したい」とベルギーに乗り込んで、素晴らしいパフォーマンスを披露し、多くの人に感謝されました。観光客が激減し、ベルギーが困っている中での絆を重んじる断固たる決意と行動に、同じ日本人であることを誇りに思いました。
– 海外で地道に頑張る 日本人をサポート
日本はいろいろな国から良い印象を持たれ、日本の政策の説明や働きかけには、大抵、温かな反応が返ってきます。これは、ケニアやベルギーのように、いろいろな所で日本人が築いてきた信用という資産のおかげです。ですから、海外で地道に草の根活動をしている日本人をサポートしたい思いが強くあります。
海外で何かをしたいとき、自力でゴールまでたどり着けなかったり、障害にぶつかったりすることもあるでしょう。そんなときにみなさんを支えるのが、我々の仕事の一つです。いろいろな人とつながり、話していけば道が開けると思っています。領事館で手伝えること、相談があれば、ぜひ気軽に声をかけていただきたいです。
▲ ベルギーの世界遺産グランプラスに日本をテーマとする「フラワーカーペット」が実現。シアトルに来る直前までブリュッセルで働いていました。
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