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【私の転機】ワシントン州日本文化会館広報兼デザイナー 中村有理沙さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

シアトルのワシントン州日本文化会館(JCCCW)で広報やデザイン、日本語での案内などに携わる中村有理沙さん。長い日系人の歴史があるこの街で、歴史を伝える場を提供する中村さんに、転機を伺いました。(2024年8月)

ワシントン州日本文化会館広報兼デザイナー 中村有理沙さん
中村有理沙(なかむら・ありさ)

静岡県出身。日本女子大学で建築を専攻し、在学中にボストンのWellesley Collegeに留学。東京工業大学大学院でまちづくりを学び、修了後にシアトルへ。ワシントン大学大学院を終了後、2017年より現職。2018年『日系アメリカ人ゆかりの地ガイド』に携わる。2019年より『The North American Post(北米報知)』で『新一世日誌』を連載中。好きな食べ物はうどん。
https://www.jcccw.org/

– シアトルに来るまでのことを教えてください。
中1の時、親の仕事の都合でミネソタ州に4カ月暮らし、当時は英語がほぼ話せず、つらく孤独な日々でした。でも、大学の交換留学プログラムでアートを学ぶためにボストンに行った時、アメリカで楽しい思い出を作ることができたんです。そのおかげで、またここに戻ろうと決意できました。大学では建築を専攻し、大学院はまちづくりの研究室へ進学。現場で人の意見を集めたり、ホームレスの支援をしたり、アートプロジェクトに携わったり、さまざまな観点からまちづくりにかかわりました。将来の方向性が発見できたという意味では、大学院が転機だと思います。

– なぜシアトルに来たのですか?
ワシントン大学の大学院でまちづくりを学ぶためです。シアトル市にはネイバーフッド・マッチングファンドという助成金制度があり、例えば住民が「近所に遊具が欲しい」と申請して承認されれば、市がプロジェクトにお金を出し、住民が中心となってそのお金で遊具を設置できるんです。日本の大学院で、先進的な取り組みとして学んでいたので、ぜひシアトルに行きたいと思いました。

– そこからどのように、JCCCWにつながるのですか?
空間や場所を誰とどのように使うかに興味があったんです。コミュニティーに場を提供しているワシントン州日本文化会館(JCCCW)なら、自分のルーツも生かせて面白いだろうとインターンに応募しました。最初に配属されたプロジェクトは、ハントホテルの歴史を伝える展示作りだったんです。JCCCWの建物は日本語学校の校舎として100年以上前に作られ、戦後は強制収容から戻ってきた日系人が借り住まいをし、ハントホテルと呼ばれました。日本で「海外の日系人は強制収容されました」とだけ学んだ場所に自分が立ち、実体験のある人と出会うことで、こうした歴史を伝える重みを感じ、また、残し伝えていかなくては、と思いました。

– いつから働いていますか?
2017年より正式なスタッフとして勤務しています。実はここのオファーを受ける前、まちづくりのプロジェクトでバングラデシュに滞在中だった日本の大学院時代の友人がテロで亡くなりました。国は違うけれど海外で同じく頑張っていた友人を、そういう形で失ったのは本当にショックで…。でも、だからこそ、私は彼女の分もやり遂げなければという気持ちで働き始めました。

– 中村さんの仕事と言えば、現在のシアトルのチャイナタウン・インターナショナルディストリクトの地図に日系人の史跡や軌跡を落とし込んだ『日系アメリカ人ゆかりの地ガイド』が印象的です。
大学院でシアトルのチャイナタウン・インターナショナルディストリクト(CID)をテーマに修士論文を書いたんです。アメリカの多くの街では移民がルーツごとに分かれて暮らすのですが、CIDでは日系、中国系、フィリピン系、ベトナム系などが混じり、それぞれがそこに帰属意識を持って暮らしています。論文では、違った文化的背景を持つ人たちが、同じ区画の中で「どの場所を、なぜ大切に思っているのか」を地図に落とし込み「見える化」しました。そして、この地図をCIDのウイングルーク博物館に見せたところ、後日、日系アメリカ人の地図を作るプロジェクトに声をかけていただき、ゆかりの地ガイドができたのです。(日系アメリカ人ゆかりの地ガイドのダウンロード »)

– お得意の絵はいつから描いていたのですか?
幼少の頃からずっと絵を描いていました。日本でまちづくりの記録を作った時、私のイラストが人の役に立つと気付いたんです。そしてアメリカではアーティストにきちんと対価が払われることが多く、趣味だった絵を仕事で生かすようになっていきました。また、このマップのおかげで、国立公園の管轄であるベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念碑(アメリカで最初に強制収容に向けて日系人が出発した場所)の子ども向けの教材の制作にも声をかけていただきました。

– 他にどんな仕事をしていますか?
JCCCWではSNSとウェブサイトの運営、ポスターやフライヤー作り、さらに展示やイベントの運営の他、日本語でのツアーにも対応します。自分のルーツを探して、ここにたどり着く方も時々いらっしゃいます。JCCCWは元々日本語学校でしたが、今は博物館、図書室、お店などがある開かれた場にもなりました。「子どもの日」など家族で楽しめるイベントも開催しています。今日のシアトルにおいて、日系の歴史の情報と人、文化が体感できる空間はあまり残っていません。だからこそ皆さんに集い、学びの場として当会館を利用していただけるよう今後も頑張っていきたいと思います。

ワシントン州日本文化会館広報兼デザイナー 中村有理沙さん
▲シアトル桜祭りでの一コマ。こうした日系人の歴史を伝える場で、日本人にも分かりやすく、日本語で情報を発信していくことも中村さんの大切な仕事です。
 
*情報は2024年8月現在のものです

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