シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 日本にとどまらず、海外でも積極的に公演や講座を開催し、能の普及に務める若手能楽師の武田宗典さん。シアトル公演を間近に控えた武田さんに、転機をうかがいました。(2014年9月)
「鞍馬天狗」花見にて2歳11カ月で初舞台。早稲田大学第一文学部演劇専修卒業。08年より能の解説と実演を見せる「謡サロン」を開始し、以後、年間60回ほど講座を開く。13年、シアトルとバンクーバーでワークショップを開催。14年9月、シアトルで公演とワークショップを予定している。
中高校生頃からミュージカルを見るようになり、大学は演劇史や演劇論を学ぶ学科へ。出る側、作る側としてミュージカルに打ち込みました。能楽師の家に生まれると、能楽師になることを強制されることが多いです。舞台に立たせてもらう機会はありましたが、うちは、そういう強制があまりなかったですね。
20歳くらいで将来を考え始めたとき、能は一生をかける仕事だと気づきました。能には60、70歳になって初めて取り組める作品があります。若い頃からの修行の積み重ねによってそこに至るものなので、能には一生をかけるだけの魅力があるのではないかと。それに、他の舞台をたくさん見たからこそ、能の価値を感じるようになりました。
– 海外公演観を変えた イタリア公演
大学卒業後は能楽師として舞台に立つ一方、2008年から「謡サロン」という能楽講座を開催しています。もう通算250回以上になるでしょうか。能のレクチャーを開催することで、能の愛好者を増やそうと考えたんです。
海外公演を意識するようになった一番の転機は09年のイタリア公演。そのときの舞台監督が私と同じ歳の方で、私は主役をしながら彼の補佐に付きました。予算のある公演ではなかったし、会場も毎回違い、普通の劇場もあれば、荒れ地のような劇場も。朝から現場に入り、どう能らしいセットを組むか?本格的な能舞台を置けないなら、どう工夫して見せるか?と考えながら舞台を作りました。そのときの編成は、ほぼ30歳代の若手だけ。それまでは外務省などが関係する大規模な海外公演しか経験がなかったのですが、予算がなくてもコンパクトなチームで公演は可能だと分かり、自分も機会があれば、海外公演を手掛けたいと思うようになりました。
13年、懇意にしていた大学教授が、シアトルの大学に赴任することになりました。歓送会で「シアトルに行きますよ。能の話をするだけでもいいですし」って話したら、その方が本当に動いてくださったんです。それが、昨年のシアトル・バンクーバー公演につながりました。
7日間11公演、会場の形、規模が全て異なり、会場ごとにプログラムを微妙に変えなければなりませんでした。急な変更によって、さらに問題が起こることもありましたが、冷静に対応できたのは、イタリアでの経験があったからだと思います。また、ワークショップ形式だったのですが、お客様の心を掴むのには、謡サロンでの経験が生きましたね。全会場、満員御礼。手応えを得て終えることができました。全公演終了後、ACTシアターから、来年はうちの主催公演として来てくださいと言っていただくことができ、今年のシアトル公演につなげることができました。
– オペラとのコラボで 能の可能性に挑戦
今年の公演では、能の『巴』と、『巴』にインスパイアされて作られた現代オペラ『Yoshinaka』を併演し、私はその両方に出ます。チャレンジの第一歩です。能の可能性が広がっていくのを感じています。これがうまくいけば、他でもコラボレーションできるかもしれない。そうすれば、能の可能性が広がるし、能自体の知名度も上がるはず。また、こうした活動によって、能が日本でもさらに注目されたらうれしいですね。
▲ 昨年のシアトル公演の様子。イタリアでの主役兼舞台監督補佐の経験が生きた
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