シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 日本でJ-POPの歌手として活躍するニコラス・エドワーズさんは、ヒロズボロの出身です。地元での凱旋コンサートを目前に控えたニコラスさんにこれまでの転機を日本語でうかがいました。 (2016年9月)
1992年ヒルズボロ出身。高校で日本語を学び、J-POPの魅力に開眼。2011年、日本テレビ系列「のど自慢THEワールド!」で優勝し、一躍脚光を浴びる。現在は日本で歌手として活躍するほか、BSフジ「be ポンキッキーズ」にも出演。今秋にはシングルを発売予定。日本語能力試験1級所持。オフィシャルサイト
父がギタリストなので、小さい頃から父のギターに合わせて歌ったり、曲を作ったり、音楽が好きになる環境で育ちました。日本語の勉強を始めたのは高校から。英語と全く違う言葉に挑戦したい、日本語の文字を書いてみたいと勉強していくうちに火が付きました。楽しくて、勉強というより趣味の感覚です。
高1の時、日本人の男の子がホームステイで家に来て、コブクロの『蕾』という歌を聴かせてくれました。当時、少ししか日本語ができなかったのですが、心を込めて歌っているように聴こえて、こんな風に日本語で歌を書き歌ってみたいと、大好きな音楽と日本語が一つになって、自分の夢ができました。高2の夏には短期留学で初めて日本へ。まるでそこが自分のホームタウンのような感じがして、将来は日本へ行こうと覚悟が決まりました。
3年生の時には、オレゴン州の日本語弁論大会で優勝。そして、高校を卒業した翌日に1人で東京に行きました。早稲田大学やNYの大学に進学もできたのですが、頭の中には日本で歌手になることしかなかったですね。まずは、いろいろな事務所へ行き、頭を下げて「歌わせてください」と飛び込み。幸い、僕をすごく応援してくれる事務所と出会え、日本で正式に活動できるようになりました。
– 日本語の歌の動画が 生んだ転職
一方、アメリカにいた頃、YouTubeに日本の歌を歌う動画を投稿していました(編集部注:現在は見ることができません)。間違いや発音を気にして喋らないと上達しないし、当時は日本語で会話できる相手が学校の先生しかいなかったので、日本語の試験のつもりで投稿していたんです。その動画が日本テレビの演出の方の目に止まり、11年に「のど自慢Theワールド!」という歌番組に出演して、優勝しました。大きな転機です。そこで注目していただき、活動範囲が広がりました。
13年にメジャーデビュー。ただ、レコード会社との意思疎通が難しくて…。作品作りの方向性に違いがあり、自分に正直でいたいとインディーズに戻りました。それ以来、自分の音楽一筋に過ごしています。また、14年から子ども番組「beポンキッキーズ」でも歌っています。僕の家は大家族だったこともあり、子どもは大好き。やりがいがあります。並行して自分の目指す音楽を続けた結果、今年再びメジャーデビューすることになりました。今は新曲のレコーディング中です。
– 日本の素晴らしさを 音楽を通して発信
去年、ヒルズボロでのワンマンライブでチケットが売り切れ、盛り上がりました。オレゴンで日本語という夢を与えていただいた身として、地元に恩返ししたいです。今年は規模を大きくして、ポートランドで9月25日にライブを行います。日本の良さを地元の人に伝えたいし、自分の地元の良さを日本の人に感じていただけるように歌いたいです。日本からも大勢の方が駆けつけてくれる予定で、心から感謝しています。
今後は、今の活動の規模をもっと大きくして、英語でも日本語でも多くの人に日本の魅力を感じ取っていただきたいですね。僕が日本の音楽を発信していくことで、文化や言葉の壁を越えれば人間って根本的なところで通じ合えるって伝えていきたいです。
▲ 7月に東京で行なったコンサートではダンスにも挑戦。また、ギタリストの父との共演を果たしました
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