シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ この夏、シアトルの公園でヨガのクラスを始めたインストラクターの飯野有夏さんは、元Oregon Ballet Theatreのプリンシパル(トップダンサー)です。そんな有夏さんに転機を伺いました。(2022年9月)
群馬県伊勢崎市出身。5歳で山本禮子バレエ団に入所。第18回ヴァルナ国際バレエコンクール金賞。2003年にOregon Ballet Theatreに入団し、2013 年の退団まで数々の作品で主役を務める。全米ヨガアライアンスRYT200 修了。全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクター。好きな食べ物はお寿司。www.yukaiinocapizziclass.com
バレエが好きな母の勧めで4歳でバレエを始め、5歳で山本禮れいこ子バレエ団に入りました。ここは多くの有名なバレリーナを輩出したバレエ団で、中でもシアトルのPacific Northwest Ballet(以下PNB)で活躍した中村かおり先輩は憧れの存在でした。
中高時代はバレエ団の寮に入り、当時の目標は著名なコンクールで入賞し、海外のバレエ団や学校のオファーを得てダンサーとして活躍すること。でも、私には高校卒業時点でオファーがなかったんです。当時の日本でバレエダンサーを職業とするのは難しく、踊り続けたければ海外に出るしかありません。高校卒業後は海外のオーディションを受けては日本に戻ることを繰り返しました。この生活は3年近く続き、つらくて落ち込むことも。そんなある時、中村先輩が「PNBのクラスに参加したら?」と声をかけてくださり、シアトルに行ったんです。そして滞在中にOregon Ballet Theatre(以下OBT)のオーディションを受ける機会があり、合格できました。やっと行き先が決まったものの、内心は「小さいバレエ団だし、チャンスがあればもっと大きなバレエ団を受けよう」と思っていました。でも、結局、2003年の入団から2013年の退団まで一度も他のオーディションを受けませんでした。OBTのディレクターが私を認め、大勢のダンサーの一人ではなく、プリンシパルの有夏として主役を演じさせてくれたからです。私の踊りが必要とされたことは幸せでした。最初に思っていたのとは違う所に来たけれど、OBTは私に合った場所だったんです。
– 大きなケガがヨガとの出会いに
さまざまな意味での転機は半月板損傷のケガです。数カ月休んで、完治しないまま復帰してしまい、翌年また手術をすることになってしまいました。この頃に始めたのがヨガで、体のバランスの整え方を学び、自分の体と向き合うようになりました。再び舞台に立ちましたが、脚や体のケアがますます大変になったことや、信頼していたディレクターの辞任などが重なり引退を決意。30代に入り、バレエ以外の世界を見たくなったことも理由の一つです。
– コロナを機に始めた公園ヨガ
退団後は夫と日本へ。2014年に出産し、2015年にヨガのインストラクターの資格を取得したのですが、子育てはアメリカでしたいと考え、2018年にポートランドに戻りました。ある時、公園で偶然知り合った日本人からヨガを教えてと頼まれました。コロナ禍だったので公園で教えることになり、口コミで人が増えました。これが「公園ヨガ」の始まりです。昨年、シアトルに引っ越し、今夏はシアトルでも公園ヨガを始めました。
私の所持するヨガの資格はアメリカでも通用するものですが、実はこれまで日本語でしか教えたことがありません。ヨガは老若男女、誰でもどんなレベルでもできることが魅力なのに、私の都合で教える相手を限っていたらもったいないと思い、今、英語で教えるための勉強をしているところです。クラスの後、生徒に「気持ちよかった」とリラックスした表情で言ってもらえたり、指導した人の体に変化が感じられたりすることがうれしいんです。もっと指導力を高め、ヨガを広めていきたいと思っています。
▲「ケガにより自分の体の限界を知り、体の状態を見極められるようになったことが、ヨガを教えることに生きています」と話す有夏さん。