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【私の転機】太鼓奏者 立石鈴太郎さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

10月18日、19日、ベルビューで第一回目のベルビューワールド太鼓フェスティバルが開催されます。主催者であり、自らも当日は奏者として出演される立石鈴太郎さんに転機を伺いました。(2014年10月)

太鼓奏者 立石鈴太郎さん
立石鈴太郎(たていし・りんたろう)
6歳より御諏訪太鼓を演奏。89年、鬼太鼓座入座。99年までに26カ国で公演を行う。02年から7年間、フロリダのディズニーワールドを拠点に活動する祭座加入。09年シアトルで、パートナーのあさ子さんと「太鼓の学校」を立ち上げる。14年、ベルビュー・ワールド・太鼓フェスティバルを開催。School of TAIKO
www.japancreativearts.com

6歳から太鼓を叩き、1989年、22歳で創作和太鼓集団の鬼太鼓座(おんでこざ)に入座。鬼太鼓座では、3年にわたるアメリカ一周マラソンツアーや世界26カ国での公演などを含め、約10年活動しました。その後は、沖縄で1年、生まれ故郷の三重県で1年活動し、その間に結婚、そして子どもを授かり、アメリカへ行く準備をしていました。

日本で演奏しつつも、自分の太鼓グループをアメリカで作りたい思いがずっとありました。移民で成り立つこの国は、各国の文化がしのぎを削る場所。世界の縮図アメリカで素晴らしい日本文化を発信してみたかったんです。

チャンスを模索する中、旧知であったフロリダのディズニーワールドで太鼓の演奏を行う祭座に入座が決まり、渡米したのが02年です。

– 足場を固めたフロリダ、シアトルでの挑戦
ディズニーで演奏できたことは良い転機になりました。太鼓には流派がいくつかあり、日本では1つの流派に属すると、他の流派を演奏することはほとんどありません。でも、ディズニーのショーでは、新しく助六太鼓のスタイルを覚えられました。子どもの頃にやっていた御諏訪太鼓、鬼太座、助六太鼓、3つの違った流派を押さえている人は他にいないと思います。

フロリダへ移住後、世界中から700人を超す太鼓愛好家たちが集まる太鼓のカンファレンスに講師として参加するようになったことも大きかったですね。太鼓に関するコネクションができました。

そうして環境を整え、09年にシアトルへ。鬼太鼓座時代、アメリカ49州に滞在し、一番いいなあと思ったのは青空が印象的だったシアトル。友人や知人も一番たくさんいる土地でした。引っ越し3日後に
は「太鼓の学校」の生徒集めを開始。一カ月後には学校を開きました。生徒数約30人で始まり、今は100人くらいです。半分くらいの方が4年以上続けていることは誇りです

そして今年、念願だった自分の太鼓ユニット「ちきり」をファミリーユニットとして立ち上げました。

さらに、今月18、19日にはベルビュー・ワールド太鼓フェスティバルをパートナーのあさ子の企画運営の下、初開催します。18日のコンサートは、日本からのゲストアーティストを招くと同時に、アメリカを代表する太鼓グループや、ブラスバンドと太鼓の共演、「ちきり」のお披露目など、盛りだくさんの内容です。19日は一転、小さなお子さんのいる家族向けに、えびすさんが鯛を釣る演目など、家族で楽しめる縁起の良いものを用意しています。

– 太鼓フェスティバルと その先の展望
太鼓がひとつの芸術として認められることが、日本人の価値をも上げることにつながる。それを信じ、自分たちの演奏をいろんな人に見てもらう方法を考えながら、最終的には皆が集まる場を作りたいです。「ちきり」の本拠地であり、太鼓の稽古場、琴や習字の教室などもあり、世界中の太鼓を集めてフェスティバルやワークショップができる文化施設を作れたらいいですね。日本文化をアメリカに紹介することで日本を盛り上げていきたいです。その過程としての今年のフェスティバルだと思っています。もう一度行きたいと思ってもらえる、持続性のあるフェスティバルにしたいです。

太鼓奏者 立石鈴太郎さん
▲ 重さ約150kg。この大きな太鼓を、フェスティバ ルではお披露目する予定 ©Yoshiki Nakamura
 
*情報は2014年10月現在のものです