シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ワシントン大学アジア言語文学科日本語・日本文学プログラムの存続危機を救うため、有志と共に「和心会」を立ち上げた岩崎さんに、これまでの転機をうかがいました。(2018年10月)
日本の高校を卒業。オハイオ州オーバリン大学に留学。卒業後スタンフォード大学で修士号、カーネギーメロン大学で博士号取得を経て、スタンフォード大学上級研究員として10年勤務。1998年、夫の仕事の関連でシアトルに転居。現在は「和心会」、PRATHAMなどの非営利団体で活動。和心会連絡先:washinkai.info
小さい頃から大学の先生になりたいと思っていました。高校を卒業して、リベラルアーツで知られるオハイオ州のオーバリン大学に留学して数学を専攻したのですが、コンピューターサイエンス(以下CS)のクラスが面白かったので、スタンフォード大学の大学院に進んでCSの修士号を取得しました。
– 子を育てたことに勝る誇りはない
大学院を出た後、一度AI(人工知能)関係の会社に勤めたのですが、カーネギーメロン大学の博士課程に入って5年かけてCSの博士号を取りました。この時に、同じ博士課程にいた現在の夫と出会ったのです。その後、2人ともスタンフォード大学で教えることになりました。結婚したのは一年遅れで私が大学に就職した時です。10年働いた頃、教授だった夫が起業した会社がマイクロソフトに買い取られることになり、その関係でシアトルに引っ越して来ることになったのです。
私は、マイクロソフトかワシントン大学で再就職しようかと迷ったのですが、ちょうど3人目の子がお腹にいて、フルタイムで働きながら2人の子を育てるのはすでに大変だったのと、これが子育て最後の機会だから100%投入しようと決心しました。私の人生にとって一番大きな転機でしたね。その時の子が今20歳です。
子育てに手がかからなくなった頃から、芸術関係や教育関係の非営利団体の仕事に関わるようになっていきました。仕事といってもボランティアですけどね。その一つが、インドの識字率を上げるための活動をするPRATHAMという団体。国民全てが基礎的な計算と読み書きができるようにすることを目指しています。私の仕事は寄付金集めです。他にも私自身音楽やダンスが好きなことがきっかけで誘われて、世界中からパフォーマンスアーティストを招いて公演をするワシントン大学の劇場、ミーニーホールの役員もしています。
20年前、研究職を辞めるのに悔いがなかったと言ったら嘘になる。でも研究者としてどれほど業績を上げたところで、子どもを育てたことに勝る誇りを感じることはなかったでしょう。そして、辞めたおかげで、未知だった芸術の世界や研究分野を体験できて良かったと思っています。
– 日本文学プログラムを守るために和心会発足
ワシントン大学のアジア言語文学科日本語・日本文学プログラムは100年の歴史を持つにもかかわらず、研究費がないため存続そのものが危ぶまれています。この危機を救うために、芸術の啓蒙に励んでいらっしゃる峰岸直美さんのお声がけで有志が集まって立ち上げたのが「和心会」です。活動の一つとしてアトキンス教授、博士課程の学生によるレクチャーシリーズを始めます。この秋には、同プログラムの功績が日本政府に認められて平成30年度外務大臣表彰を受賞するそうです。私たちの励みにもなりますね。今の目標は和心会の活動を成功させることです。
▲ 和心会メンバーと関係者。会の名前の「和心」は、ワシントンと日本の心を意味する和心を掛け合わせたもの。
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