シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ ワシントン州最大の日系IT企業、PSPinc。得意の日本語を生かし、同社でカスタマーサポートとして勤務するブランドンさんに、これまでの転機をうかがいました。(2020年10月)
テキサス州出身。ワシントン州ウィッピーアイランドとケントで育つ。その後、University of Washingtonに入学し、コンピューター科学専攻・ビジネス日本語副専攻として、2014年に同大学を卒業。約2年間のMacy’sでの勤務を経て、16年にPSPiIncに就職。現在に至る。
PSPinc (Web: www.pspinc.com/eng)。
私の転機は、中学生の時に、母親が日本人、父親がアメリカ人というクラスメイトができたことです。彼は僕に日本のさまざまなカルチャーを教えてくれました。中でも、もともと音楽が好きだったこともあって、当時、ゲームの主題歌を歌っていた宇多田ヒカル、Perfume、One Ok Rockをはじめ日本の音楽にすっかりはまったんです。また、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『デスノート』などの日本のアニメもよく見ました。それで、中学高校では独学で日本語を少し勉強したんです。ワシントン大学に進学してから、本格的に日本語の勉強を始めました。
大学の副専攻はビジネス日本語で、主専攻はコンピューターサイエンスです。ゲームが好きで、その裏側がどうなっているのかに興味がありました。でも、学ぶうちに、1日中デスクに向かい、黙ってコードを書き続けるプログラミングの仕事は、自分に向いていないと気付いたのです。大手IT企業でインターンをする機会もありましたが、結局、プログラマーとして就職はしませんでした。インターンで稼いだお金は、後に、念願だった初めての日本旅行の軍資金になったのですけど(笑)。
– 好きと得意を考えて、たどり着いた日系企業
大学卒業後は、友達の紹介を機にデパートのMacy’sで働き始めました。紳士服売り場で接客をしながら「自分は、本当はこれから何の仕事がしたいんだろう?」と考え続けていました。
考えるうちに、大好きな日本と関われる仕事をしてみたいと思うようになり、得意な日本語を使って仕事ができる会社を探すことにしたのです。そこで日系のエージェントに登録し、紹介してもらったのが、現在働いているPSPinc(以下PSP)です。2016年のことでした。
PSPは、ベルビューにある日系のIT企業です。今はここで、カスタマーサポートのウェブ担当として働いています。ウェブサイトやカスタム・システムを作りたいというお客様の希望や要望を聞き、それをまとめて仕様書に落とし込み、社内の開発チームに仕事を依頼するのが僕の仕事です。お客様と開発の間に入って業務を管理します。
– これまでの経験が全て生きている仕事
同僚や顧客には日本人が多く、仕事では日本語を書いたり話したりする機会が多いですし、大学で学んだコードは、お客様や社内のプログラマーと話をする時に役に立っています。それにMacy’sでは接客をしていましたから、その時の経験はお客様と話す時に生かされていて、この仕事は、本当に僕にぴったりなんです。
お客様と話すことは、日々挑戦です。何をしたいのか、何がほしいのか、お客様自身も分かっていないこともよくあるので、こちらから質問したり、提案をしたりしながら、話を引き出すようにしています。入社から5年経ち、最近では任される仕事の量や幅もかなり増えてきました。
幸い、新型コロナウイルスの感染拡大後も、弊社は大きな影響を受けることがありませんでした。お客様にも、開発チームにも分かるように仕様書を書くことは難しいですが、今の仕事は自分に合っていて、日々楽しく充実しているので、もっと極めていきたいと思っています。
▲ 2013年、京都にて。初めての日本旅行は、ワシントン大学の日本語の勉強で知り合った友人を訪ねて関西方面へ。
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