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【私の転機】ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル公認リーダー 光岡いずみさん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

母乳育児の情報提供やサポートを行う団体、ラ・レーチェ・リーグ。その公認リーダーとして活躍する光岡いずみさんは、今年でリーダー歴30周年です。そんな光岡さんに転機を伺いました。(2021年10月)

光岡いずみさん
光岡いずみ(みつおか・いずみ)

東京都出身。東京大学卒業後、都内で高校教師として勤務。1981年にLA近郊に転居。91年にラ・レーチェ・リーグ公認リーダーの資格を取得。92年、ベルビューにてラ・レーチェ・リーグ・イーストサイド・ジャパニーズを開始。シアトル日本語補習学校の理科教師として95〜2019年まで勤務。好きな食べ物は油揚げ。(https://llleastsidejp.wordpress.com

日本では数学や地学の教師で、1981年に夫の仕事の都合でLA近郊に移住し、日本人子女向けの学校で理科を教えました。85年の長女の妊娠中、山内逸郎先生(母乳育児推奨の第一人者)の本を読み、母乳育児に興味を持ちました。いざ、授乳を始めると面白くて奥が深い。生物の授業で進化を教えるとき、卵を産み母乳で育てるカモノハシを取り上げますが、母となり、おっぱいをあげるようになった私は、太古のカモノハシが母乳で育てるように進化したことに感動を覚え、哺乳類の原点に立ち返り、まさに、生きていくための軸を得た気分でした。

長女が2カ月の時、母親同士、さまざまな話をしながら励まし合い、母乳育児に関する情報が得られる団体「ラ・レーチェ・リーグ」に参加し始めました。2人目を妊娠中、あるリーダーから「リーダーの資格を取って日本語版ラ・レーチェ・リーグを始めたら?」と提案されました。転機の一つですね。課題図書を読んでレポートを書いたり、電話相談のテストがあったりと、私には英語の学校のようでした。資格が取れる少し前から日本人の母親向けの集まりを開くようになり、参加していたお母さんの中には、日本に帰国後、リーダーになった方もいます。

– 海外唯一の日本語の会としてスタート
約2年半かけ、91年にリーダーの資格を取得した直後、ベルビューに引っ越し、自宅で「ラ・レーチェ・リーグ・イーストサイド・ジャパニーズ」を始めました。当時は、海外で唯一の日本語の会で、一回目の参加者は1人でしたが、少しずつメンバーは増え、会場も病院の施設を使わせてもらえるようになりました。

また、95年にはシアトル日本語補習学校の中学高校の理科教師となりました。毎週土曜の授業は大変でしたが、母乳育児支援同様、理科教育には情熱を持ち、2019年まで教壇に立ちました。

05年、長男の高校卒業を機に、ラ・レーチェ・リーグの引退を決めました。ところが、その直後に日本のラ・レーチェ・リーグから、アジア初のカンファレンスでのシンポジウム登壇を頼まれ、断れずに引退しそびれてしまいました。でも、この時、日英両語で書いた自分史を、後に娘が母親となってから読み始めたときは感無量でした。今は彼女もラ・レーチェ・リーグに参加しています。その後、地元「なでしこクリニック」の押尾先生と『母乳育児が必ずうまくいく本』(メディカ出版・08年)を共訳、毎月の集いもたゆみなく続け、今年でリーダー30周年を迎えました。

– 少しでも母乳育児中のお母さんを元気に
お母さんはただでさえ大変なのに、ましてや異国で孤独になりがちです。さまざまな境遇の人が来られ、時には、声をかけただけで涙ぐむ方もいます。集いを機にママ友になり、子どもたちが成人しても、まだお付き合いがあるという話をよく聞きます。

今は、孫も二人いますが、さて、いつまで続けましょうか(笑)。集いに来ていた赤ちゃんが、もう成人して活躍しているという話を聞くと、非常にうれしいです。「Happy Mothering through Breastfeeding」の理念の基、母乳育児をするお母さんの心身の健康や、母子の関係を豊かにすることの手助けができればと思っています。

光岡いずみさん
▲ ラ・レーチェ・リーグの様子。現在は毎月第二水曜にオンラインで開催しています。参加資格は、妊娠中の方や母乳育児に興味がある女性です。
 
*情報は2021年10月現在のものです

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