シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ タイガードの日本インターナショナル・バプテスト教会創設者の横井マイクさん。主任牧師を退き、現在は、全米に日本語の教会を作る取り組みをしています。横井さんに転機を伺いました。(2023年10月)
長野県茅野市出身。大学卒業後、働きながら神学校で学ぶ。1983年、フロリダの神学校で学ぶため、家族で渡米。1989年、タイガードに日本インターナショナル・バプテスト教会を設立。2018年に同教会の主任牧師を引退し、現在はJapanese Church Planning Network代表を務める。好きな食べ物は鰻とハンバーガーとピザ。http://www.jcpnetwork.com/
私の人生は大学生まで順調で、商社からも早めに内定をもらいました。しかし、それを機に人生を考え始めたら「何のために生きるのか」という問いにぶつかったのです。本を読み、当時住んでいた京都で寺院を回って尋ねても答えは得られず。高名な比丘尼ですら「私もその答えを探しているところです」と言うので、私は思い悩んで鬱病になってしまいました。
– すっかり変わった両親、働きながら神学校へ
静養のため実家に戻ると、昔はケンカの絶えなかった両親の仲が、すっかり良くなっていると気が付きました。夫婦でキリスト教に入ったことがきっかけと言うのです。両親が変わるほどなら、私の求める答えもあるかもしれないと聖書を読み始め、それを転機に3カ月後にはクリスチャンになりました。人は死んだら終わりではなく、その先があると分かったんです。
商社入社後は、輸出入業に携わりましたが、いずれは会社を辞めて牧師になろうと思いました。聖書を読んでいると自分自身に語りかけられているような、キリスト教から強く呼ばれているような気がしていたからです。
しかし、昭和の営業マンが定時で上がり、神学校に通いたいなんて、普通なら会社に止められます。ところが理解のある上司で「やってみろ」と言ってくれて、働きながら夜間の神学校に5年間通うことができ、卒業後も数年は仕事を続けました。
1983年に会社を辞め、フロリダの神学校に進学することに。妻と3人の息子と渡米しました。約半年後、日本語礼拝をしてほしいとオレゴンのタイガードの教会から要請があり、引っ越し。以来、タイガードが拠点です。
– クリスチャン以外も集い、交流できる場を
10人以下だった日本語の日曜礼拝は、10年で毎回7、80人集まるように。クリスチャンを集めたと言うより、日本人の集う場を作った感じでしょうか。何人ものリーダーたちが頑張ってくれました。規模が大きくなり、母体となる教会から背中を押され、1989年に日本インターナショナル・バプテスト教会として独立。1996年には現在の場所に移転し、2003年には幼稚園を開設しました。教会はクリスチャン以外の誰にでも開かれる場所であるべきで、そういう意味で幼稚園は人が集まりやすいと思ったんです。
一番大変だったことは、牧師の仕事よりも計6人の子どもの子育てでしょう。立派な親ではなかったけど、自分自身が正直であることは意識していました。子どもの悩みを全て分かってあげられなかっただろうし、心配するだけで何もできないことも多かったけど、ずるい生き方だけはしてこなかったつもりです。
息子たちにクリスチャンになれとか牧師になれと言ったことはありませんが、長男と次男が教会を継ぎ、私は2018年に牧師を退きました。バイリンガルの礼拝など新しい試みをして、若い人、新しい人たちが増えているようです。
現在はJapanese Church Planning Networkという団体で、北米に日本語の教会を作る取り組みをしています。これまでも、ワシントンのタコマ、アリゾナのフェニックスに教会を建て、目下、サンディエゴに教会を作るプロジェクトを進めています。日本人や日系人の新たな集いの場ができればと思っています。
▲今年6月、Japanese Church Planning Networkのカンファレンスで記念撮影。全米の日本語の教会同士の交流の場になっています。