シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 2024年4月、シアトル日本語補習学校の校長として着任した鹿屋純一さんは、社会人になってから教員免許を取得しました。子ども、保護者、教員をどのようにサポートできるのか考えるのが楽しいという鹿屋さんに、これまでの経歴を伺いました。(2024年10月)
鹿児島県出身。愛知県内の大学を卒業後、鹿児島県の職員として就職し、仕事をしながら教員免許を取得する。1989年より鹿児島県で小学校の教員となる。2014年、シンガポール日本人学校小学部クレメンティ校に教頭として赴任。2017年に帰国し、その後は鹿児島県内で教頭・校長を務め、2023年に定年退職。2024年4月より現職。好きな食べ物は豚骨ラーメンとバクテー(肉骨茶)。
https://www.seajschool.org/
– なぜ、小学校の教員になったのでしょうか?
小学5、6年のとき、担任の先生の授業が面白く、国語の先生になりたいと思いました。しかし、大学受験に失敗して、教育学部ではなく法学部へ。社会科の教員免許を取れる学部でしたが、社会科に苦手意識もあって教職課程を取りませんでした。大学卒業後は地元の鹿児島で県の職員として就職。県内の小学校に配属されたのですが、学校ってやっぱり楽しいんですよね。それに、教員になった大学時代の友人が「今からでも教員免許取れよ」と後押ししてくれたんです。当時の職場の校長先生も理解を示してくださったおかげで、社会人になってから教員免許の取得に挑戦できたのは、最初の転機でしょうね。仕事をしながら勉強して、教員二種免許を取得できました。晴れて小学校の教員として再就職。あと1科目の単位を取れば教員一種免許も取得できたのですが、仕事の忙しさにかまけて…。折しも教員免許に関する法改正があり、それまで一種免許のために取得していた単位が全て失効してしまいました。やむを得ず、働きながら放送大学で学び、新しい法律に則った単位を全て取り直し、一種免許を取得。少し遠回りもしましたが、教員として歩んできました。
– 鹿児島で印象に残ったことは?
鹿児島県は南北約600キロメートルで、離島もたくさんあります。全校児童900名以上の学校から奄美大島の全校児童31人の小学校に赴任したのは良い思い出です。6年ほど、自然豊かな島で家族と暮らせたのも良い経験でした。ここで初めて、二つ以上の学年を一つの学級で編制する複式学級を担当しました。指導が難しく、試行錯誤の日々。しかし、どうしたら分かりやすい授業になるかを考えることがだんだん面白くなってきました。その後、県の教育センターで長期研修を受ける機会を得た際には、算数にICTを活用した指導法を研究。国語が好きで教員を目指した自分が、授業を通じて、苦手だった算数科を研究するようになったことも、教員生活の転機でありました。
– 鹿児島からシンガポールの学校に赴任したきっかけはなんですか?
いつも心の中に、まだ見ぬ世界を見たいという好奇心があったんです。子どもが生まれる前、妻といろいろな国に出かけて刺激を受けました。30代の頃、海外の日本人学校で教員を募集していると知り、世界の国々に日本人が暮らし、学校があるなら教えてみたかったのですが、当時の制度と家族の都合が合わず断念しました。40代後半、今度は日本人学校の教頭を募集していると知り、応募しました。教員が派遣される在外教育施設は、現在世界に136校ほどあり、派遣先は内示まで分かりません。私は、シンガポールに配属されました。
– シンガポールはいかがでしたか?
シンガポールは四つの公用語がある多民族国家です。勤務校は日本の授業を行う全日制の800人以上の児童が通う小学校で、補習校も併設していました。日本人以外の教職員も多く、日本で簡単に進むようなことでもうまく進まないことが多かったです。日本と異なる環境での経験は、現在、補習校で仕事をする上で良い糧になっています。3年間の任期を経て帰国。その後、鹿児島の小学校に戻りました。
– シアトルに来たきっかけは?
健康で夢があれば年齢はあまり関係ないと思っています。定年退職しても、今までの経験を生かせる道が海外にもあると知り、応募しました。今回も赴任先がシアトルとは内示が出るまで分かりませんでした。4月に東京の文科省で正式な委嘱状を受け取り、翌日の便でシアトルへ。到着翌日が本校の着任式と始業式。慌ただしい新生活の始まりでした。
– シアトル日本語補習学校はどんな学校でしょうか?
子どもたちと保護者、そして先生方の目が輝いていて、活気を感じました。毎週、幼稚園から高校まで可能な限り全クラスを見ていますが、子どもたちは皆、素直で、とても良い雰囲気です。昼休みにお弁当を食べている子どもたちを見るのも楽しみです。みんないい笑顔なんですよ。毎週土曜日、子どもたちが学校へ来てよかったと感じ、保護者が安心できる学校にするためには、まずは授業を充実させるところから。教員は週に一回の授業で日本の数日分の範囲を教えるので教材研究が大切です。また、授業を受ける子どもたちも、家で学習をフォローする保護者も協力して取り組んでいるところが立派ですし、それをどうサポートできるかを考えるのは、やり甲斐があります。そして、教職員にとっても、ここで働くことに誇りを持てる学校にしたいです。誇りがあれば、子どもたちをより愛おしく思い、さらに良い授業にしたいと思えるはずですから。将来、子どもたちが胸を張って「私はシアトル日本語補習学校を出ました」と言い、友達と校歌を歌えるような学校にしたいと思っています。
▲補習校に着任間もない5月、中高生のレニア集会での鹿屋さん。この日は「生徒会活動を人任せにせず自分事として考え、積極的に協力してほしい」と話をしました。