シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 2013年8月に在シアトル日本国総領事として大村昌弘氏が着任した。外務省職員としてさまざまな職場を経験した大村総領事にとっての転機は今だと言う。総領事の仕事に対する思いを伺った。 (2013年11月)
1955年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、80年外務省入省。アフリカ第二課長、(財)日本国際問題研究所主任研究員、在ウィーン国際機関日本政府代表部参事官、ケニア大使館参事官、同公使を歴任。内閣府経済社会総合研究所上席主任研究官、人事院公務員研修所副所長を経て2013年8月より在シアトル日本国総領事
小さい頃から海外事情に興味があり、新聞の外報面をよく読んでいました。漠然と、海外で起きていることは大事なことなのではという意識があったんです。中学生の頃、友人から外務省・外交官の仕事を教えてもらいました。
大学生の時、語学研修でハワイ大学に行ったのが初めての海外経験です。自由課題があり、日系人の方々にインタビューをしました。アメリカにおける日系人社会や日系人のアイデンティティーに関心があったんです。
念願の入省後は、ワシントンDCの大使館勤務などを経て、89年から93年まで本省の邦人保護課にいました。日本からの海外渡航者が伸びている時代で、それに併せて、事件事故も増えていたんです。夜中でも電話がかかってくるので、いつも枕元に電話を置いて寝ていました。
当時は紛争や内戦も多く、一番大きかったのはイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争です。日本人を含めた外国人を人質にとったイラクに対し、東京のオペレーションルームに泊まり込んで対応しました。4カ月くらいかかって全員が解放された時はほっとしましたし、どうしてこんな理不尽なことが起こるのだろうという怒りがありました。この時、外務省として海外にいる日本人の生命や財産を守ることがいかに大事なことか強く感じました。
– ワシントン州で迎えた プレイヤーからの転向
実は、今年の4月に父を亡くしました。私の入省を喜び、いろいろな任地へ行くたびに家族を連れて来てくれた父です。改めて仕事をきちんとやらなければと思いました。
そして、この8月に総領事館を任されたのです。外交官の仕事は外国に行ってなんぼという世界で、なかでも館長(在外公館の長)の仕事をやり遂げてこそ外務省・外交官の仕事をやったと言えます。ぜひやり遂げようという気持ちになりました。
これは、今までの仕事とは全く違います。私は何でも自身でやりたいプレイヤー意識の強い人間です。でも館長になったからには、プレイヤーというよりも、僭越だけれどもコンダクターにならなくてはなりません。ほかの方々が自分よりうまく対応してくださることもたくさんあります。気持ちを込めて、やりがいを持って仕事をしていただけるようにすることが大事ですね。館長になった今年は、転機だと思っています。
– 今までの学びを活かし 実践の場へ
ここ数年は、館長の間近で働くことも多く、館長とはどういうふうに振る舞うべきかを考えさせられました。その時考えたこと、その後考えたことを、今、実践に移そうとしているところですね。
ケニア時代に民間の感覚を持った上司が言っていたのが「お客様本位」という言葉。私も職員に「相手本位の仕事をしましょう、いざというとき役に立てる総領事館になりましょう」と言っています。
ワシントン州は自然環境も素晴らしいし、何よりも素晴らしいのは強力な日系コミュニティー。ここに来て、ハワイの自由課題を思い出しました。在留邦人1万人と、日系人が3万5千人もいて、そういうところで日本を代表する総領事の仕事をさせてもらえるのは大変光栄なこと。ここで館長としての仕事をやり遂げたい。でも、これがなかなか大変なんですよ(笑)。
▲ 8月の兵庫県・ワシントン州姉妹提携50周年行事で、兵庫県のマスコットはばタンと記念撮影
コメントを書く