シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 黒髪に切れ長の目の女の子と、たくさんの動物。どことなく和の雰囲気のイラストで、アメリカ各地で大人気のアーティスト、シアトル在住の粥川由美子さんに、転機を伺いました。(2014年11月)
北海道出身。幼少の頃より、アメリカのポップカルチャーに影響を受ける。90年、北海道総合美術専門学校卒業。02年、シアトルで初個展を開催。以後、アメリカ国内を中心に活動する。05年よりシアトル市在住。15年はグループ展と個展を開催予定。Yumiko Kayukawa
札幌の近くの小さな町で生まれ、ずっと札幌に住んでいました。昔からアメリカの音楽や映画が好きで、アメリカ人になりたいほどアメリカに憧れがあり、機会があれば住みたいくらいでした。
絵もずっと好きで、美術系の専門学校にも行きましたが、絵が仕事になるとは思ってなかったです。ツテも無いし、田舎だからアート系のイベントとかも知らないし、絵を描けるだけでいいと思ってて。学校を出て、いろんな仕事を転々として、趣味で絵は続けていましたが、職業としてイラストでやっていく夢はなかったですね。
– 夢にも思わなかった アメリカでの初展覧会
そんな頃、札幌で英語教師をしていたシアトル出身のアメリカ人と友人になったんです。これが転機でした。友人がシアトルに帰った後、私が遊びに行ったら、そこからいろいろ始まりまして。「絵を描いてたでしょ。ちょっと描いてよ」と言われ、描くと周りの人たちが私の絵にワー!って驚いてくれて、すごく褒めてくれたんです。その後、友人からシアトルのフリーペーパー『The Stranger』の方を、さらに『The Stranger』からシアトルのギャラリーを紹介していただき、そのギャラリーとは、それ以来の付き合いになります。
最初の展覧会でも絵が売れるとは思ってなくて、日本から絵と一緒にシアトルへ遊びに行って、絵と一緒に帰ろうと思ってたんです。けれど、思いがけずに売れて…。私の絵を買ってくれる方がいることにビックリしました。このとき、すでに31歳で、全く遅咲き。私は引っ込み思案で、前にガツガツ出て仕事を取ろうとか、そういう気持ちがないので、まるで夢のようで、「アメリカではこんなことが起こるんだ」と思いました。以来、アメリカの他地域からも声をかけていただくようになり、本当にラッキーでした。
日本だと30歳過ぎてからこういうチャンスってなかなか無いと思いますけど、それができたのはアメリカならではだと思います。ここは、やりたい人、才能のある人にスポットが当たる、誰にでもチャンスをくれるところだと思うので。でも、才能があっても日の目を見ない人がいるから、きっかけのあった私は本当に幸せです。この縁にはいつも感謝しています。
– 渡米後の 心境とモチーフの変化
最初の展覧会の頃、今の夫と出会い、結婚を機にシアトルへ来ました。日本にいたときは働きながら絵を描いていましたが、こっちに来てからは、絵に集中できるようになり、地に足が着いた感じです。
こちらに来て良かったのは、視点が変わったこと。アメリカに来て改めて見つけた日本の良さもあり、絵の感じも少し変わりましたね。アメリカに来たことで、自分が何者か分かってきて、そしたら切れ長の目や、着物とか、今のような方向性の絵を描くことが心地良く、自然なことに思えてきたんです。
私の絵は、見て楽しんで幸せになってくれたらそれだけでうれしいです。アートはよく分からないと言う方もいますけど、私にも分からないんですよ。どう解釈してもそれはその人の自由なので。かえっていろんな風に解釈してもらえて面白いと思うこともあるし、それぞれで物語を考えて楽しんでいただけたらいいなと思いますね。
▲ 子どもの頃から動物が大好きな粥川さん。彼女の絵のモチーフには欠かせない存在
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