シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ タカラジェンヌ、舞台女優からヨガ・インストラクターへ転身という経歴を持つクルッグ直子さん。「私の人生は転機だらけ」と言う直子さんに、これまでの半生をうかがいました。(2017年11月)
大阪府出身。1989年、宝塚歌劇団第75期 生として首席で花組に入団(当時の芸名は伊織直加)。2003年に退団。退団後、舞台女優を続け、2006年にヨガ・インストラクター資格を取得。2011年、舞台を引退し、ポートランドへ移住。2016年よりStudio IORIを開設。現在は少人数制でヨガなどを教える。Studio IORI(studio.iori70@gmail.com)
実は宝塚を1度も観たことがないまま宝塚音楽学校に入ったんです。昔からミュージカルや映画が大好きで、ブロードウェイの舞台に出たかったのですが、母に「家から近いしブロードウェイに似てる」と言われ、宝塚を受験しました。面接で宝塚の母体である阪急電鉄の会長に「誰のファン?」と聞かれ、「明日観ます」と答えたらドッとウケたことを覚えています。そこで人生が変わりました。
宝塚が厳しいことも、男役と女役があることも知らずに入り、なかなかなじめませんでしたが、レッスンは楽しかったです。男役、伊織直加として首席で歌劇団に入り、いつしか宝塚にどっぷり。大劇場公演で2番手近くまで行きました。
– 宝塚退団後に出会った英語、夫、ヨガ
2000年に制度が変わり、私を含め、選抜された10人は、宝塚以外の舞台に立つ機会を得たんです。夢だったブロードウェイ作品の日本版に出ることができ、宝塚以外の舞台に興味が沸きました。それに、宝塚で男役、外の舞台で女役を繰り返し、さらにディナーショーもこなすうちに体はボロボロ。声を潰してステロイドを打つこともあったし、そろそろ髪を伸ばしてピンク色の服も着たい(笑)。外部からのオファーもあり、03年に退団をしました。
退団後も東宝ミュージカルやジャニーズの『Dream Boy』『SHOCK』など出演作に恵まれました。その頃、英語の勉強も始め、そこで出会ったのが1年だけポートランドから日本に英語を教えに来ていた今の夫です。仕事で忙しい私に「頑張らなくていいんじゃない?」と言ってくれた人は彼が初めてでした。婚約し、将来アメリカでも働けるようにヨガやフィットネス関係の資格を取得。私の転機はいつも突然です。1度もヨガをやったことがないのに、いきなり講師の講習に参加しました。でも、自分を外に見せる舞台と、自分の内面に問いかけるヨガ、正反対の世界観が面白くてハマったんです。
舞台の合間にヨガを教え、ますます忙しくなった07年に彼が日本の製薬会社勤務となり、再来日して結婚。当時は、紅白歌合戦で踊り、夜中に帰宅すると翌朝6時の飛行機で大阪の舞台に向かう、そんな私のスケジュールに付き合う夫が体調を崩すほどでした。出産後も夜遅い仕事に娘を付き合わせることがあり、ずっと家族に罪悪感があったんです。そんな頃に起きた東日本大震災…、これを機に、舞台を引退し、ポートランドに移住する決断をしました。宝塚退団は涙が止まりませんでしたが、このときは、今まで十分やった満足感と、これから娘と向き合う決意でスッキリした気分でした。
– スタジオが新しい 地元のコミュニティーに
渡米後、地元の教会でヨガを教え始め、その後、同じ教会の礼拝やイベントで歌うようになりました。今ではオーケストラをバックに歌ったり、ソリストとして歌ったりしています。歌の傍ら、自宅地下にヨガスタジオを作り、次女の手が離れた今年9月から本格始動しました。ヨガ、エアロビクスの他、子ども向けのダンス、歌、日本語のクラスもあり、日本人に限らず、地元の子たちが集まりつつあります。小さなスタジオですが、これからここが新しいコミュニティーの場になっていけばいいなと思っています。
▲ 02年、宙組『カステルミラージュ/ダンシングスピリット』フィナーレのパレード。00年以降は「専科」に異動し、組や宝塚の枠を超え、活躍しました。
コメントを書く