シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 美しい色使いと浮世絵を思わせる独特な作風で世界各国から注目を浴びている版画アーティストの平塚さんに、これまでの転機をうかがいました。(2018年11月)
大阪出身。東京学芸大学卒業後、中学、高校で教職に就く。1985年ニューメキシコ州立大学大学院に留学。修士取得後、インディアナ大学大学院でMFA取得。現在は作家活動の傍ら大学の美術学部で教える。
Web : liberalarts.oregonstate.edu/users/yuji-hiratsuka
インスタグラム:instagram.com/hiratsuy/?hl=en
子どもの頃、勉強はできなかったんですが、絵を描くのが好きで美術だけが楽しかった。僕の原点と言えるかもしれません。中学生の時に担任から「この成績では普通の高校は受験できない」と言われ、美術専門の大阪市立工芸高校に入学しました。
– 制作活動を続けるため留学を決意
大学は東京学芸大学に入りました。在学中は版画以外の授業には出席しないで遊び呆けて、そのへんでちゃらんぽらんになって(笑)、卒業に5年かかりました。
大学で教員免許を取り、卒業後は中学・高校で美術の教員をしながら制作活動をしていたんですが、専任教師になると作品を作る時間がなくなる。それが悩みで、将来の方向性を探り始めた頃、アメリカの版画関係の雑誌にニューメキシコ州立大学大学院が留学生を募集しているという案内を見つけて、合格すれば授業料全額免除ということで応募しました。それまでにも欧米で展覧会をする機会があり旅行も兼ねて行っていたので、海外移住もありかなと考えていたんです。
作品と書類を送って審査に合格して、1985年の夏、留学しました。ニューメキシコは、アメリカとはいえメキシコに隣接していて、人口の大半はヒスパニックだし気候も文化も日本とはまるで違います。でも覚悟していたので精神的に参ることはなかったですね。メキシコは飲酒の年齢制限がないので、週末は学校の友達と車でメキシコの街に行ってパーティーをしたりして楽しみました。
大学院修了後はインディアナ大学のMFA(Master of Fine Arts:美術学部の博士課程に相当)に進学し、同時に隣街の私立大学からビザの援助を得て教員を始めるようになり、この頃からアメリカでの生活の基盤が出来上がっていったのです。
渡米が人生で一番大きな転機でしたが、その後も、小さな転機がいくつかありました。いま考えてみると、80年代終わりから90年代にかけては日本がバブルの時代で、アメリカもその影響で景気が良かった。その波に乗ったおかげで大学院を出てからも順調に就職口が見つかったんですよね。ラッキーだったと思います。
– アメリカに来て日本の浮世絵に興味を持つ
技法は日本の大学時代からずっと版画です。版画は技術が重要で、工芸的な部分がある。そこをマスターしないと作品は作れません。その勉強が苦手な人には向いていないですね。日本にいた頃は、当時のポップアート、アメリカの作家などに影響を受けた作品が多かった。でもアメリカに来ると日本について聞かれることが多くなり、日本の伝統的な美術について学ぶうちに浮世絵、特に人物画が面白いと思うようになって、作風が変わりました。色がきれいで、ちょっとデザイン的で、陰影がない、漫画っぽい、といった、浮世絵の特徴を意識しています。作品に女性が多いのは、男性と違って女性の服装は大胆で、色やデザインに自由が利くから。帽子、ハイヒール、草履、装飾品などの組み合わせを、着せ替え人形のように楽しんでいます。
今年はベイ・エリア、ユージーン、ロシアと、個展に恵まれました。来年もロシアで個展が決まっているほか、海外の公募展からの招待もあり、新作に取り組んでいます。
▲ 自宅のアトリエで制作中。制作の合間には、健康のため、近くの山にハイキングに出かけたりして、できるだけ歩くよう心がけている。
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