シアトルの生活情報&おすすめ観光情報

【私の転機】筑波大学体育系助教/スペシャルオリンピックス日本理事長 平岡拓晃さん

最新インタビュー & バックナンバーリスト »

シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

ロンドンオリンピックの柔道60kg級の銀メダリスト、平岡拓晃さん。ワシントン大学での研究、アメリカでの柔道の指導のため、現在はシアトルを拠点に活動しています。そんな平岡さんに転機を伺いました。(2024年11月)

筑波大学体育系助教/スペシャルオリンピックス日本理事長 平岡拓晃さん
平岡拓晃(ひらおか・ひろあき)

広島県出身。小学生の時に柔道を始める。高3でインターハイ優勝。筑波大学卒業後、了徳寺学園に所属。2008年北京オリンピック出場、2012年ロンドンオリンピック60kg級で銀メダルを獲得。2015年、筑波大学大学院博士課程に進学し、2016年に現役を引退。2023年よりスペシャルオリンピックス日本の理事長を務める。好きな食べ物はトンカツ。
https://www.son.or.jp/

ー柔道を始めたきっかけは?
中学校の教員で柔道部の顧問をしていた父のすすめで、小学校入学を機に兄と柔道を始めました。高学年になると父の紹介で、とある中学の先生の指導を受けるように。その先生は、オリンピック金メダリストの斉藤仁さんの元付き人で、広島カープの選手や日本のトップアスリートの治療を行う鍼灸師から最新のトレーニング方法を常に学び、当時はまだ珍しいバランスボールを練習に取り入れるなど、ユニークな指導をしていました。この先生の下でもっと柔道をしてみたいと思い、この先生が指導する柔道部がある中学校に入学。この頃から全国を目指すようになり、中3では全国大会で準優勝。高校では3年連続でインターハイに出場し、高3で優勝できました。高校で全国1位になったことで、シニアの大会や、世界大会、オリンピックなど、さらに上のレベルが視野に入るようになり、大学は私のような軽い階級が強い筑波大学に進学。卒業後は実業団に入りました。

– 現役選手生活の中で、一番思い出深い試合は?
2008年、北京オリンピックの初戦で負けたことが一番印象に残っている試合です。銀メダルを取ったロンドン大会よりも強く覚えています。当時、オリンピック4連覇を目指していた野村忠宏選手を退けて代表権を獲得したのに、初戦で敗退。批判を浴び、インターネットでは「日本の恥」と叩かれ、もう柔道をやめようと思いました。その後、骨の病気まで判明し、精神的に疲れていましたね。さらに、私の骨の手術の付き添いで上京した母が、病院へ来る前日に乳がんの手術をしたと言うんです。オリンピックで心労をかけたことが、母の病気を悪化させてしまったのでは?と本当にショックで…。そこで、これまで一番応援してくれた母のために自分ができることは何だろうと改めて考え、もう1度オリンピックに行って、メダルを取ろうと思ったんです。そこから、オリンピックで負けた自分にとことん向き合う日々が始まりました。オリンピックの雑誌記事を部屋の壁に貼って自分を鼓舞。4年間きつかったですが、2回目のオリンピックの方が強くなれた実感を持つことができ、銀メダルを取れました。そういう意味では北京での敗戦がメダルにつながる転機だったと思います。

– その後、2016年に引退を決意されましたね。
ロンドンの後、膝の大きな手術を受け、階級も上げました。手術からどれくらいで復帰できるのか、階級を変えるとどうなるのか、いつか指導者になったときのために体験しておきたかったんです。さらに2015年には選手のコンディションや減量、水分の摂り方など、スポーツ医学を学ぶため、大学院の博士課程に入りました。これも、将来のために正しい知識を付け、指導者としての技量を上げたかったからです。選手としてはやりきったつもりでしたし、学びたいことができたので博士課程入学の翌年に引退を決断。日本の柔道界から博士課程に進む前例はほぼなく、キャリアを相談できる人がいなかったので最初は手探りでした。それまで柔道漬けだった私にとって、医学分野に入ったことで視野が広がり、海外の人たちとのネットワークができたことは大きい変化です。

– ところで、平岡さんはスペシャルオリンピックス日本(以下SON)の理事長も務めていますが、これはどのような縁で始めたのですか?
これも転機の一つですが、ある時、日本のトップアスリートが集う会にご招待いただき、当時、SONの理事長をされていたオリンピック2大会連続メダリストの有森裕子さんと知り合いになったのです。SONは、知的障害のある人たちにオリンピック競技種目に準じたトレーニングや競技会を提供する組織です。活動の意義や目的を知り、深く感銘を受けました。日本のスペシャルオリンピックスで柔道があまり広まっていなかったこともあり、まずはサポーターとして参加を開始。2023年には有森さんから理事長を引き継ぎました。

– シアトルへ来られた経緯は?
引退後、海外でも指導してみたいと思っていたところ、ご縁があって2016年と2022年にシアトルで数回指導する機会を得ました。しかし、英語でこれまでの経験をうまく伝えられなかったことが情けなくて…。今回は日本オリンピック委員会から正式にスポーツ指導者海外研修の援助を得て、英語で柔道を教える経験を積みに来ました。シアトル周辺の道場で教える予定です。また、所属している筑波大学の制度を利用し、ワシントン大学で研究ができることになったので、当地での柔道の普及や報道について調査を行います。さらに、スペシャルオリンピックスはアメリカが発祥の地で、日本よりも活動が盛んなので、アメリカでの運営などを学ぶ予定です。どこまでできるか分かりませんが、いずれアメリカで得たことを日本に持ち帰り、柔道界に生かしていきたいと思っています。

筑波大学体育系助教/スペシャルオリンピックス日本理事長 平岡拓晃さん
▲シアトル武道館での指導の様子。「アメリカの道場は楽しく和気あいあいな雰囲気だけれど、皆、真剣。日本にはない感覚を味わいながら指導しています」と平岡さん(右)。
 
*情報は2024年11月現在のものです

アメリカ生活に関する他のコラム » 
シアトル関連の最新記事などについて »