シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー
■ 元フィギュアスケート日本代表の村上大介さん。グランプリシリーズなどで活躍してきた村上さんは、現在、オレゴン州シャーウッドでコーチをしています。そんな村上さんに転機を伺いました。(2022年2月)
神奈川県出身。9歳で家族と渡米し、フィギュアスケートを始める。2004年にアメリカ代表に選ばれ、2007年から所属を日本に移す。2014年のNHK杯では4回転ジャンプを3回成功させて優勝。2015年、スケートカナダ3位。2018年に引退を発表し、同年よりオレゴン州のSherwood Ice Arenaでコーチに就任。(https://www.instagram.com/diceskates/)
転機の一つは9歳の時、家族でサンディエゴに移住したことです。引っ越し直後に行った近所のモールにスケートリンクがありました。面白そうだったから、母に頼んで、その翌週にはリンクに行き、フィギュアスケートを始めたのです。そして11歳頃、LAから来た先生の講習を受け「私のところで学ばないか?オリンピックを目指そう」と声をかけられ、拠点をLAに移すことに。中学生になるとアメリカ代表に選ばれ、国際試合に出るようになりました。最初は経験を積むことに精一杯で、所属のことは深く考えていませんでしたが、試合会場で日本の選手たちと交流することはありました。
そして2006年、浅田真央選手がLAに拠点を移し、僕の練習するリンクに来たのです。浅田選手のお母さんと僕の母が仲良くなり、家族ぐるみでお付き合いするようになりました。浅田選手のお母さんは、日本スケート連盟のサポート体制の良さや、日本生まれの僕は日本代表になるべきだと力説するのです。選手層が厚い日本で、日本代表になるのは大変なことですが、この説得を機に所属を日本に移しました。長い目で見たら、日本生まれの僕は日本代表として試合に出た方が、たくさん応援してもらえるのでは?と思ったのです。
– 2015年、羽生選手らを抑えて抑え1位に
思い出の試合を一つ挙げるとしたら…、日本人で初めて4回転ジャンプを3回成功させて優勝したNHK杯も印象に残っていますが、一番は2015年のグランプリシリーズ「スケートカナダ」です。
僕はショートプログラムで、羽生結弦選手とパトリック・チャン選手、2人の五輪メダリストを抑えて1位になりました。フリープログラムでは滑るのが1番最後で、控え室で出番を待っていると、観客のものすごいどよめきと拍手が聞こえてきたのです。羽生選手が素晴らしい演技をしたのだろうという空気が伝わってきました。そして僕の前に滑ったのがパトリック選手。カナダは彼の地元だから、会場は大盛り上がりで、僕がリンクに出ても歓声は鳴り止まず、彼の得点アナウンスが聞こえないほどです。僕はリンクに出ただけで、コーチと目も合わせられないほど緊張してしまって…。でも、4回転ジャンプを成功させ、ミスも無く、最終的にパトリック選手、羽生選手に続いて3位に。あの雰囲気の中でベストな演技をした自分を本当に誇りに思っています。
その後も競技は続けましたが、2018年の休暇中に将来を考えて引退を決意しました。同年9月にはシャーウッドアイスアリーナのコーチに就任。今まで住んだことのないオレゴンの街で、新しい道に進みたかったんです。
– 自分だけの経験と技術次世代へつなげたい
今は、初心者から大きな試合に出る生徒、それに趣味で滑る中高年の方も教えています。中高年の方は「テレビで見て自分もやりたくなった」と純粋に楽しみのために来ていて、教えていて楽しいですね。また、僕が手を引いて滑り始めた子が、大きなジャンプを成功させるようになると、教えていて良かったと思います。生徒の成長がうれしいです。夢は、世界選手権のような大舞台に出る選手を育て、4回転ジャンプを教えること。僕の経験や技術を次世代に伝えていきたいです
▲思い出の試合、2015年の「スケートカナダ」にて。大会では銅メダルを獲得。銀メダルの羽生結弦選手と共に。