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【私の転機】Christmas Hawaii オーナー・オペレーター ポーラ田尻さん

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シアトルやポートランドで活躍する方々に人生の転機についてインタビュー

ポートランド在住のポーラ田尻さんは、毎年冬になると、ワシントン州やオレゴン州で育ったクリスマスツリーをハワイに運び、販売しています。50年近く、ハワイにクリスマスを届けてきた田尻さんに、これまでの転機を伺いました。(2024年12月)

Christmas Hawaii オーナー・オペレーター ポーラ田尻さん
ポーラ田尻(ぽーら・たじり)

東京都郊外出身。1975年、ハワイに移住。83年にクリスマスツリー・ビジネスをしていたリチャードさんと結婚。同年より現職。1987年にワシントン州に移住し、夫婦で和食レストランHaiku Gardenを経営。1991年、娘の亜美さんを迎える。2000年からポートランド在住。好きな食べ物はお寿司。
https://www.christmastreesinhawaii.com/

ー渡米の経緯を教えてください。
大学卒業後すぐ、当時のボーイフレンドと結婚しました。彼は旅行会社に勤務していて、ハワイのエージェントから声がかかったことを機に2人で移住。1970年代はハワイに日本人旅行者が増え始めた頃で、私もガイドの仕事をしました。働き、遊んだ楽しい日々でしたが、生活が落ち着いてくると、子どもがいたらいいなと思うようになりました。私は、子どもができないなら養子を迎えればいいと思ったのですが、彼は大反対。初めて2人の意見が大きく分かれました。私は子どもを産みたいのではなく、子どもがほしかったんです。でも、なすすべがなく、そうなると楽しかった2人の関係はあっという間に崩れ、離婚に至りました。私の転機でしょうか。親や夫の庇護から外れ、自分の人生に自分で責任を持って生きていくことを自覚する出来事でした。そして数年後に、ハワイ出身の日系3世の男性と出会い、結婚。夫は出会った頃にはすでにハワイでクリスマスツリーを販売する仕事をしており、私も結婚前後から共に働くようになりました。

– ハワイでクリスマスツリーを販売する仕事について教えてください。
オレゴン州やワシントン州のクリスマスツリーファームでツリーを仕入れ、ハワイで販売しています。創業時は小さなコンテナ2台分のツリーを販売していたそうですが、2019年頃には1シーズンで約5000本を販売するように。夫はとにかくクリスマスツリーが大好きで、1本1本を自分で選び、刈り込みや剪定を自分ですることもあったほどです。通常、販売業者がファームでそんなことはできませんが、ノースウエスト中のファームを周り、信頼しているファームではそのようにしていました。顧客は個人のご自宅や別荘の他、商業施設やホテル。クリスマスの装飾で有名なホテルThe Royal Hawaiianのツリーも、長年うちで用意しています。

– いつからノースウエストにお住まいですか?
夫が仕事で頻繁にノースウエストに行くうちにすっかり気に入ってしまったんです。2020年からはポートランドに住んでいますが、最初は1987年にワシントン州に移住しました。夫がレストランを買い、和食レストランを始めることに(注:2020年に売却)。飲食店の経営は大変でしたが、1991年に娘が来て、そんな生活が一変しました。

– 養子でお嬢さんを迎えたんですね?
夫とは早いうちから養子縁組の話をしていて、日本で手続きをすることにしました。子どもがほしくてもできない人と、子どもができても育てられない人をつなげる団体が愛知県にあると日本にいた父が調べてくれて、話を進めてくれたんです。まとまりかけてはうまくいかないご縁が2回続いた後、女の子の赤ちゃんが生まれたと連絡が来て、まず父と兄夫婦が出向いて話をまとめ、私も急いで病院に向かいました。続いて夫も日本に来て、生後10日で娘の亜美が私たち夫婦のところにやってきました。これが二つ目の転機です。

– お嬢さんとはどんな関係、どんな存在ですか?
ある時から、日本の特別養子縁組について知りたい方のお役に立てるかと思い、自分の経験を『オレゴンの微風』というタイトルでブログに書き始めました。でも、養子縁組って、親子の始まり方が他と違うだけで、あとは普通の親子と同じなんです。養子だからといって何も特別なことはないと気付き、ブログはただのつれづれ日記に変わってしまいました(笑)。おっとりしていて、誰からも好かれ、人に恵まれてきた娘です。娘が小さい頃は、夫は表に出る時だけ父親のような顔をしているようでしたが、彼女が中学でバレーボールを始めると、すっかりバレーボール・ダディになってしまい、娘が「来なくていい」と言っても、どこにでも付いていくように。おかげで娘にとってダディの存在が大きなものになったと思います。娘は成人して家を出ましたが、今でもクリスマスツリーの時期には仕事を手伝ってくれます。彼女とは母娘というより、お互い一人の人間として最高の人間関係。今以上に望む事はありません。

– 今後のご予定は?
2020年に夫が亡くなり、これからどうしようかと思ったのですが、多くのお客様が「今年もハワイに来てくれてありがとう」「田尻さんを見ないとクリスマスが始まらない」と言ってくださるので続けてきました。ハワイで「Mr. Christmas」と呼ばれ、愛された夫が続けてきた仕事ですから、彼の創業50周年を祝ってから引退すると決めたんです。それが来年。幸い、素晴らしい後継者が見つかり、その後は彼女に引き継ぐ予定です。人生、楽しく生きなくっちゃ。夫の亡き後も身近な人を大勢見送りました。いつまでできるか分からないけど、1日1日を大事に、娘や友人と楽しく生きていきたいと思います。

Christmas Hawaii オーナー・オペレーター ポーラ田尻さん
▲左から、ポーラ田尻さん、夫のリチャードさんと愛犬のむ〜ちゃん、娘の亜美さん。家族の形を少しずつ変えながら、ツリービジネスを続け、今年で49年を迎えました。
 
*情報は2024年12月現在のものです

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